「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」
渋沢栄一は明治から大正にかけて活躍した実業家です。第一国立銀行をはじめ、生涯で約500もの企業・団体の設立や育成に関わり、「日本資本主義の父」と呼ばれています。その渋沢が生涯を通じて説き続けたのが、「論語と算盤」という思想です。
論語は道徳・倫理の象徴。算盤は利益・経済の象徴。この二つは相反するものではなく、本来一体でなければならない。これが渋沢の中心的な主張でした。
渋沢はこんな言葉を残しています。
「道徳と経済をいかに調和させて行くかということが、私の平生の主張であり、また実践してきた点でもある。」(『論語と算盤』)
この言葉を歯科医院経営に当てはめると、どう聞こえるでしょうか。「患者の健康への貢献(道徳)」と「医院の収益(算盤)」は、相反するものではなく、本来一体でなければならない。この視点は、今の歯科医院経営が直面している本質的な問いと重なります。
利益を追うことは、なぜ批判されるのか
「医療機関がお金を追いかけてはいけない」という感覚が、医療者の中に根強くあります。利益を求めることは、患者への貢献と矛盾するように感じられるのです。
しかし渋沢はこの二項対立を否定しました。正しい方法で得られた利益は、社会への貢献の証であると考えたのです。逆に、道徳なき方法で得た利益は罪悪であり、利益なき道徳(善意だけで経営が成り立たないこと)は現実に機能しない寝言に過ぎない。こう渋沢は言い続けました。
歯科医院に置き換えれば、こうなります。患者の健康に本当に貢献した結果として得られる収益は、正当なものです。しかし患者の不安を煽って不必要な治療を勧める、自費を売り込むことだけを目的にする。こうした方法で得た収益は、渋沢の言う「道徳なき経済」です。女性スタッフが輝くシリーズでも書きましたが、スタッフはそんな院長に軽蔑の目を注ぐのです。
一方、「患者のために」という気持ちだけで経営を続け、収益が安定しなければ、スタッフの給与は払えず、設備は古くなり、優秀な人材は集まらず、長期雇用も出来ず、結果として患者への医療の質は下がっていきます。これが「経済なき道徳」の現実です。
先生の医院は今、道徳と算盤のバランスが取れていますか。
「合本主義」が示す組織の在り方
渋沢が提唱したもう一つの重要な概念が「合本主義」です。これは、多くの人の資本・知恵・力を合わせて社会に貢献する事業を起こすという考え方です。一人の天才が独占的に富を独占するのではなく、多くの人が協力し合い、その成果を社会に還元する。これが渋沢の理想とした経営の姿でした。
渋沢はこう述べています。
「個人の利益のために行動することが、結果として社会全体の利益につながるような仕組みをつくることが大切である。」(『論語と算盤』)
この考え方を歯科医院に重ねると、院長一人の知識と技術を唯一の経営資源とする診療するモデルから、スタッフ全員の知識・技術・関わりを合わせて患者の健康に貢献するモデルへの転換が見えてきます。
女性スタッフが輝くシリーズでお伝えしてきた「スタッフが輝く組織をつくる」「権限を委譲してスタッフが自律的に動ける環境をつくる」という方向性は、渋沢の合本主義と同じ原理から来ています。院長一人の力には限界がある。しかしスタッフ全員の力を合わせた医院は、院長一人では到達できない場所に患者を連れていけます。
「社会への還元」という視点が、医院のブランドをつくる
渋沢が生涯で設立・育成に関わった事業の多くは、病院・学校・社会福祉施設など、社会への貢献を目的としたものでした。渋沢にとって事業とは、利益を得るための手段であると同時に、社会をより良くするための手段でもあったのです。
渋沢はこう言っています。
「富をなす根源は何かといえば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができない。」(『論語と算盤』)
「正しい道理の富でなければ永続しない」。この言葉は、今の歯科医院経営に直接刺さります。短期的な収益を優先して患者との信頼を損なえば、その医院は長続きしません。しかし患者の健康への本当の貢献を積み重ねた医院は、地域に根づき、口コミが広がり、患者が次の患者を連れてきます。これが「正しい道理」による収益の在り方。長期管理型経営の基盤となる考え方です。
地域の医療・介護の多職種と連携する、地域の健康づくりに関わる、スタッフが誇りを持って働ける医院をつくる。こうした取り組みは、渋沢の言う「社会への還元」であり、同時に医院のブランドをつくる行為でもあります。
「論語と算盤」を、今日の経営に活かす
渋沢栄一の思想は、150年以上前に形成されたものです。しかしその本質は、今の時代にこそ必要とされているように感じます。
診療報酬改定が進む中で、国は「医療の質に貢献している医院を評価し、そうでない医院との差を広げる」方向に制度を動かしています。これはまさに渋沢が言った「道徳と経済の一体化」を、制度として実現しようとする試みとも読めます。患者の健康に本当に貢献している医院が、収益でも報われる仕組みへ。この方向性は、渋沢の思想と重なります。
院長が「患者の健康への貢献」と「医院の収益」を対立するものとして捉えるのをやめ、この二つが一体であるという確信を持ったとき、経営の方向性は変わります。スタッフへの説明も変わります。患者への向き合い方も変わります。
渋沢が今の時代に院長に語りかけるとしたら、こう言うのではないでしょうか。「患者の健康のために真摯に向き合いなさい。そしてその貢献の結果として、正当な収益を得なさい。その収益でスタッフを育て、設備を整え、地域に還元しなさい。それが本当の意味での経営です」と。
先生の医院の経営は、論語と算盤が一体になっていますか。
まとめ
渋沢栄一が「論語と算盤」で説いたのは、道徳と経済は対立するものではなく、本来一体であるべきだという考え方です。患者への真摯な貢献と医院の正当な収益は、矛盾しません。むしろ、本当の貢献があるからこそ、長続きする収益が生まれます。
スタッフ全員の力を合わせた合本主義の組織をつくること。正しい道理による収益を積み重ねること。そしてその収益を地域と社会に還元すること。渋沢が150年前に示したこの道筋は、今の歯科医院経営の本質と重なっています。
先生の医院のこれからを、心から応援しています。
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