バトンは、渡すより「渡し切る」ほうがはるかに難しい
スタッフに役割を任せると決めた。権限を渡すと言葉にした。しかし数週間後、気がつけば院長が再び細かく指示を出し始めている。こうした状況は、組織づくりに取り組む医院で繰り返し起きます。バトンを渡すことより、渡し切ることのほうがはるかに難しいのです。
バトンが戻ってくるきっかけは、大きく二つあります。一つは院長自身の経営的な不安感情。もう一つは、周囲のスタッフからの「余計な助言」です。どちらも、院長は問題に気づかない。だからこそ、無意識なままに権限委譲を後退させてしまいます。
「一度、スタッフに渡したバトンを戻さないための覚悟」とは何か。今回はその具体的な場面と関わり方を取り上げます。
「不満が出ています」という一言に、どう向き合うか
権限を委譲されたスタッフは、最初から100点の成果を出せるわけではありません。判断を誤ることもあれば、チームとの摩擦が生じることもある。それらをすべて含めたうえでの権限委譲のはずです。
しかし現場では、こうした場面が起きます。別のスタッフが院長のところへ来て、「他のスタッフからも○○さんへの不満が出ています」と伝える。院長はその言葉を正面から受け取ります。しかし実際には、それはその人、一人だけの意見であることが少なくありません。「他のスタッフからも」という言い方が、院長に大きな問題が起きているという印象を与えます。
こうした情報を持ってきたスタッフへの対応として大切なのは、「情報を教えてくれてありがとう」と受け取りながらも、権限を委譲したスタッフへの信頼を揺るがせないことです。情報は受け取る。現場の観察もする。しかし、それだけで判断を変えない。院長が情報提供者の言葉に即座に反応してしまうと、組織の中に「不満があれば院長に言えば何とかなる」という構造が生まれ、権限委譲は静かに崩れていきます。ベテランリーダーが産休に入り、代わりにリーダーになった中堅スタッフに他のベテランスタッフから不満がでる。多くの院長が経験されていると思います。
院長が皆の前でバトンを渡す—宣言という仕掛け
権限委譲を機能させるために有効な仕掛けがあります。院長が、チーム全員の前でバトンを渡したことを言葉にして伝えることです。
たとえばこのような言葉です。「私は役割をお願いした○○さんを信頼しています。○○さんとは常に会話しながら課題の解決に取り組んできました。○○さんも役割を果たすよう真摯に取り組んできてくれ、最近、頼もしさが増してきたと感じています。そこで、○○に関する役割を○○さんに一任することにしました。○○さんも最初は緊張し、上手くいかないこともあるでしょうが、周りのみんなが支えて手助けしてあげてください」
この言葉には、いくつかの機能があります。まず、院長が意図を持ってバトンを渡したことが全員に伝わります。次に、権限を受けたスタッフへの院長の信頼が公の場で示されます。そして、周囲のスタッフに「支える側」としての役割が自然に生まれます。宣言によって、権限委譲は院長と当該スタッフの二者間の約束から、チーム全体が関わる構造へと変わります。
院長が内心不安でも、顔と言葉に出さない
院長が不安を感じること自体は、当然のことです。任せたことがうまくいくかどうか、失敗したときの影響はどの程度か。こうした不安は、責任感のある院長であれば誰でも持ちます。
しかし、その不安を顔や言葉に出してしまうと、権限を受けたスタッフは「院長は自分を本当には信頼していない」と感じます。その感覚が、自律的な判断への意欲を削いでいきます。院長が不安を内側に持ちながらも、スタッフの前では「あなたを信頼している」という姿勢を保ち続けること。この一貫性が、スタッフの成長を後押しします。
勇気づけはする。しかし介入はしない。二重権限は持ち込まない。この線引きを院長が守り続けることが、幹部スタッフが育つための唯一の土台になります。権限を委譲したスタッフの失敗への責任も、最終的には院長が負う。その覚悟があって初めて、スタッフは本当の意味で動き始めます。
シリーズを振り返る—スタッフが自然に動き出す仕掛けの本質
このシリーズでは、指示や研修ではなく仕組みとして組み込むことでスタッフの行動が変わるという視点から、四つの角度を取り上げてきました。
第1回では、朝のチェックインによる心理的安全性の醸成が、スタッフが自分から動き出す土台になることを述べました。第2回では、担当患者を自分ごととして深く理解するための記録の仕組みが、個人の能力差を超えて継続来院率を高めることを論じました。第3回では、スタッフが動かない理由を考え方・行動・知識技術の三軸で捉え直し、障害の除去と成長環境の設計が院長の本当の役割であることを示しました。
そして第4回の今回、院長がバトンを渡し切るための覚悟と具体的な関わり方を取り上げました。チーム全員の前での宣言、余計な助言への対応、不安を顔に出さない一貫性。これらは、仕組みというより院長の姿勢の問題です。しかしその姿勢こそが、すべての仕掛けを機能させる最後の一ピースになります。
まとめ
院長がバトンを戻してしまうきっかけは、経営的な不安感情と周囲からの余計な助言です。どちらも善意から生まれますが、気づかないうちに権限委譲を後退させます。対策は、チーム全員の前でバトンを渡した事実を言葉にして宣言すること、情報は受け取りながらも信頼を揺るがせないこと、不安を内側に持ちながらも一貫した姿勢を保つことです。勇気づけはしても介入はしない。この覚悟がなければ、幹部スタッフは育ちません。
先生の医院のスタッフが、院長のバトンをしっかりと受け取り、自分の力で走り出す日を心から応援しています。
先生の医院のこれからを、心から応援しています。
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