医療機関を四十年以上見てきて、確信していること
私は四十年以上、医療機関の経営に関わってきました。その中で、一つの確信があります。
「医療としての本質」からブレずに治療品質を向上させている歯科医院が、経営面でも臨床面でも、地域における信頼という点でも、最終的には上手くいくということです。
短期間に経営的な結果を出す方法はいくつもあります。臨床面を深く追求しなくても、売上を増やす手段はある。広告を増やす、患者を回転させる、自費を積極的に勧める。こうした方法で一時的に数字を伸ばすことはできます。
しかし、医療としての本質からブレた医院は、どこかで必ず壁にぶつかります。そしてその壁を、乗り越えることができなくなります。
逆に、本質からブレない医院は壁にぶつかりながらも、それを一つひとつ乗り越えていきます。その過程で、周囲の医療機関だけでなく行政・地域の多職種・ともに働くスタッフから、尊敬を集める存在に近づいていきます。
本質とは何か
歯科医院の「医療としての本質」とは何でしょうか。
このシリーズを通じてお伝えしてきたことを振り返ると、それは「患者を主役として、患者が健康に向かう道を支えること」です。
治療技術を高め続けること。診断力と治療計画立案の力を磨くこと。患者への治療提案の質を上げること。医療コミュニケーションの水準を高めること。そして、医療サービスのレベルを継続的に改善すること。これらは、どれが欠けても「医療の本質」は成立しません。
接遇研修でお辞儀の角度を整えることは、この本質の表面にある一要素に過ぎません。本質から取り組まずに表面だけを整えることは、外側を磨いて中身が空洞の医院をつくることです。
先生の医院は今、本質から取り組んでいますか。それとも、表面を整えることに力を使っていますか。
患者はエボークトセットで医院を選ぶ
マーケティングに「エボークトセット(喚起集合)」という概念があります。消費者が何かを購入しようとするとき、無意識に「選択肢として考える医院・店・ブランド」の集合のことです。患者が「次はどこの歯科医院に行こうか」と考えるとき、頭に浮かぶ医院の集合がエボークトセットです。
エボークトセットに入るためには、患者が「この医院なら任せられる」「ここには何か特別なものがある」と感じる体験が必要です。それは広告の量でもなく、院内設備の豪華さでもなく、患者が「自分の健康のことを本当に考えてくれている」と感じた体験の積み重ねから生まれます。
逆に言えば、患者が「どうしても手に入れたい価値」を提供できない医院は、エボークトセットから外れていきます。治療の質が低い、コミュニケーションが形式的、自分の不安を受け取ってもらえなかった。あまり説明せずに治療する。こうした体験をした患者は、次に選択肢を考えるときにその医院を思い浮かべません。
医療コミュニケーションの品質は、まさにこのエボークトセットを決める要因の一つです。患者は診療の技術だけで医院を評価しているのではありません。「あの医院に行くと、自分の話を聴いてもらえる」「自分のことを大切に考えてくれている」という感覚こそが、患者を引きつけ続ける力です。
本質から逃げた医院が辿る道
本質から逃げて楽な道を選んだ医院には、共通した結末があります。
スタッフが医療従事者として成長しません。医療者として本質に向き合う機会がない組織では、スタッフは「こなすこと」に慣れていきます。技術も磨かれず、コミュニケーション能力も育たず、患者への関わりは形式的なものになっていきます。前回の記事でお伝えしたように、患者に寄り添いたいと思っていたスタッフの心の炎も消えていきます。
臨床面での柱が築けません。「自院にしかできない診療」がない医院は、価格と利便性でしか競争できません。しかし価格と利便性での競争は消耗戦です。いつかより安く、より便利な競合が現れれば、患者は移っていきます。
そして保険診療の採算性が厳しくなる中で、地域に根付き続ける力を失います。行政・介護・医科との連携の場で存在感を示せない医院は、地域の医療体制の中でポジションを築けません。診療報酬改定が進むにつれ、本質に取り組んできた医院と取り組まなかった医院の差は、制度としても収益としても広がっていきます。地域包括ケアシステムの構築を目指して医療提供体制が再編され、「か強診」が誕生したあたりから医院の格差は拡大してきたと感じます。
ブレない思いが、困難を乗り越える力になる
医療の本質を貫くことは、簡単ではありません。患者に丁寧に向き合う時間は、効率を追えば省けます。スタッフの成長を支える手間は、目先の業務に追われれば後回しになります。地域との連携に出かける時間は、診療室を離れる(枠を閉じる)ことを意味します。
だからこそ、院長とスタッフが「なぜこれをやるのか」という本質的な目的を共有していることが重要です。ブレない思いで院内が統一されている医院は、困難にぶつかっても逃げません。「患者を健康に導くために、今ここで踏ん張る」という共通の動機が、乗り越える力になります。
理念と日常の行動のギャップを放置したりごまかしたりする院長のいる医院では、スタッフもその姿を見ています。言葉と行動が一致しない組織は、まとまりを失います。逆に、困難な場面でも本質から逃げない院長の姿を見てきたスタッフは、「自分もここで踏ん張ろう」という気持ちを持てます。組織の強さは、院長の姿勢からつくられます。
医療コミュニケーションの品質が、医院の未来を決める
このシリーズを締めくくるにあたって、最も伝えたいことをお伝えします。
患者は医療コミュニケーションの品質にこそ惹きつけられます。
治療の技術は患者には直接見えません。材料の質も、器具の精度も、患者には分かりにくい。しかし、自分の話を丁寧に聴いてもらえたかどうか、不安を受け取ってもらえたかどうか、自分のことを本当に考えてくれているかどうか・・・。これらは患者にはっきりと伝わります。
第1回でお伝えした全受容、第2回の傾聴・質問・共感、第3回の解釈モデルを聴く技術、第4回の行動変容を支える動機づけ面接、第5回の理念を行動に落とし込む姿勢。これらはすべて、医療コミュニケーションの品質を高めるための取り組みです。
接遇研修を否定しているのではありません。お辞儀の角度も、言葉遣いも、大切なことです。しかしそれは、医療コミュニケーションという本質の上に乗るものです。土台がない状態で表面だけを整えても、患者の心には届きません。
医療コミュニケーションの質を高めることに真剣に取り組む院長が増えることで、歯科医療全体の水準が上がります。そしてそういう医院が地域に増えることで、患者が「歯科医院は頼りになる」と感じる地域医療が実現します。私はそのことを信じて、これからも歯科医院の院長とともに歩んでいきたいと思っています。
このシリーズを締めくくるにあたって
第1回から最終回まで、「患者との関わり方」というテーマでお伝えしてきました。
患者は主役である。全受容が変化の出発点になる。傾聴・共感・解釈モデルを聴くことが信頼をつくる。行動変容は信頼の上に生まれる。接遇より先に医療コミュニケーションがある。そして、医療の本質からブレない医院だけが地域に信頼される。これらはすべてつながっています。そして、私が医療機関と関わってきた40年でそのことに確信が持てるようになりました。
一つひとつは小さな取り組みに見えるかもしれません。しかしその積み重ねが、五年後・十年後の医院の姿を決めます。本質からブレずに歩み続けた医院が、患者・スタッフ・地域から信頼される存在になります。
先生の医院のこれからを、心から応援しています。
![]() |
|
![]() |
|
![]() |

















